Posted by Katsuya on 6th 9月 2010

In Dubrovnik ドブロブニクの美しい街並みと悲しい歴史

スルジ山から眺めるドブロブニクは絶景

この先の航空券の手配はまだまだ続く。

今日も宿のネットを使い、北欧のフライトをブッキング。ようやく終わりが見えてきた。格安航空会社は確かに安いが、なんだかんだ料金が加算されると結構いい値段になる。基本のフライト料金に税金やら荷物代やらクレジットカードの支払手数料やら。うまい事、乗せてくる。

さて、こんなことばかりしていると(大事だけど。。)あっという間に時間が過ぎてしまうので、午前中いっぱいで終わりにし、午後からドブロブニクの観光へ。

●魔女の宅急便!ドブロブニク

宿からは路地を抜け、旧市街を目指す。途中、高台から見下ろすドブロブニクの街並みはホントに美しい。小さな家々の屋根はすべてオレンジ色で統一され、旧市街は城壁の中にきれいに並び、そしてそれらを真っ青のアドリア海が取り囲んでいる。これが中欧の世界であり、魔女の宅急便の舞台だ。

旧市街では、クロアチア名物のアイスを片手に整列された街並みを眺める。そして、ドブロブニク旧市街の見どころを一通り見学。フランシスコ会修道院、大聖堂、総督邸と見て回るが、中でも印象的だったのが総督邸の写真展。

●ドブロブニクの美しい街並みと悲しい歴史

近くの土産物屋でも同じような本が売っていたが、「Dubrovnik WAR」と題されたその写真展は1991年~92年の独立戦争の生々しいドブロブニクの悲しい一面をモノクロの写真が語っていた。今では、その美しい街並みに魅せられ多くの観光客が訪れる平和な街だが、それらの写真では今見てきたその平和な光景と同じ景色が無残にも破壊されているのだ。

銃弾を受け傷ついた大聖堂、砲弾が直撃しぽっかりと穴の開いたオレンジの屋根の家、アドリア海に浮かぶ燃え盛る船、ぷっつりと糸の切れたスルジ山へのロープウェー、がれきで埋め尽くされた美しい旧市街の通り、燃える店舗から商品を撤去する店主…。独立を果たし今や街はきれいに修復されているが、ドブロブニクの人々が受けた傷は癒えたのだろうか。

●スルジ山からドブロブニクを一望

旧市街を抜け、真新しいロープウェーでスルジ山へ登る。歩き方には、「戦争で破壊され、今は徒歩かタクシー」と書いてあったが、修復され運行していた。ロープウェーを降りたところには、破壊される前のロープウェー、破壊された無残な姿、そして修復作業の様子とそこにも写真が飾られていた。どこの地でも、歴史は破壊と創造を繰り返している。

スルジ山の上から見るドブロブニクの街はそれでもやっぱり美しい。ユーゴスラビアの悲しい歴史を思いつつ、しばらくドブロブニクの景色を眺める。独立戦争の内容や旧ユーゴスラビアの文化や歴史など、さわり程度しか理解していないが残念ながら日程がない。中東にいすぎた。。

○スルジ山のロープウェー

旧市街の北側城壁の外から頂上へロープウェーが出ています。乗り場は、Infoで聞くか、山を見ればロープウェーが見えるので分かるかも。

料金:73Kn(1人往復)

●夜行フェリーでイタリアへ!今日の寝床はフェリーのデッキ!

短かった旧ユーゴ地域の滞在は今日で終了。夜行フェリーでイタリアへ向かう。チェックイン前に、フェリー乗り場近くのピザ屋さんでピザを食べ(さすがイタリアに近いだけあって安くておいしい!)、21時にチケットを買ったオフィスでチェックイン。

23時にフェリー乗り場からクロアチアを出国。フェリーに乗り込み寝床を確保。今日は、デッキで寝袋にくるまって就寝!

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  1. Go to Dubrovnik ドブロブニクを目指してさらに北上!

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