Posted by Katsuya on 18th 1月 2011

Iguazu colonial Day 1 イグアス移住地の歴史を知る

イグアス移住区の町のシンボルの鳥居

そもそも日本人移住地とは何なのか。そして、なぜ多くの人がここへ移住してきたのだろうか。

ということで、今日はイグアス移住地にある日本人会へお話を伺いに行く。

●広大な土地を切り開いた移住者たち

ペンション園田から歩いて15分くらい。イグアス移住地のセントロにある日本人会を訪れる。

もちろん、ここは旅行者のためではなく、ここに暮らす人々のための団体。そして、事前のアポイントも無しに訪れたのにもかかわらず、職員の方が優しく出迎えてくれた。

お仕事中のためロビーで待っていると、広報担当の壱番さん(お名前です)が登場。場所を変えてお話を聞かせて頂けるとのことなので、近くのイグアス日本匠センターへ移動する。

ここは、日本語学校としても使われているとのことだが、今は3ヶ月(!)の夏休みとのことで教室はきれいに片付いている。

端に寄せられた机といすをセッティングし、お話が始まる。

お仕事中のお忙しい中にもかかわらず、貴重なお話を約1時間半にも渡り聞かせていただいた。

簡単にまとめるとこんな感じ。

  • 三国同盟戦争によってパラグアイの人口は21万人まで減少してしまったため、パラグアイ政府が移住者を誘致したのが始まり
  • はじめにこの地を訪れた日本人は7家族。当時ジャングルだった87千haを開拓し、現在では大豆の輸出が世界第4位になるまで農地を育てた
  • 出身地域は高知県や岩手県などが多く、元々狭い土地で農業をしていた人達が、広大な農地を求めて移住。開拓の努力が実り今ではそれを手に入れた
  • ちなみにそれぞれの農家が持っている土地の広さは小さくても50ha。大きな農家だと1,000ha以上のところも。十勝で一番大きな土地を持っている農家でも30haというのだから驚きだ
  • 南米には他にも日本人移住地はあるが、ここの日本人会は特にうまくいっている。採石場の事業による利益を、農協や病院、学校などを運営費用に回しているため(普通は会費による収入のみ)
  • ここは今でも1世の方が活躍される若い移住地。そのため日本語が今でも根付いているが、日本語学校の教育にも力を入れている。他の移住区は3世、4世と進むにつれ薄れている
  • 子供たちはパラグアイの義務教育+日本人会運営の学校に高校まで通っている。さらに、ポルトガル語や英語、現地の民族の言葉など様々な言語を操る

イグアス移住地の日本人会広報担当の壱番さんは日本語学校の先生もやっている

他にも様々なことを聞けたが、とにかく50年前にジャングルを切り開いたことから始まったこのイグアス移住区は、移住者のがむしゃらな努力により現在では豊かなくらしを手に入れたみたいだ。

さらに、教育やライフラインなどの自治も日本人会で行っており、ここはまるで日本。でも、何も無かった土地に小さな日本を作ったということを考えると感慨深いものがある。

今の日本人にも同じようなことができるだろうか?

かつやcat

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