Posted by Katsuya on 18th 9月 2010

Auschwitz 悲しい歴史 アウシュビッツ

「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の文字を掲げたアウシュビッツの正門

今日は、ナチスドイツの犯した犯罪を象徴するアウシュビッツを見に行く。

●アウシュビッツに到着するも入れず。。

朝早く宿を出て、昨日調べたバスの時間にクラクフ中央駅東側のバスターミナルに向かう。

アウシュビッツのあるオシフィエンチムへは30分~40分おきと比較的多くバスが出ている。早速、20人乗りくらいの小さめのバスに乗りオシフィエンチムへ向けて出発。

昨日の宿の騒ぎで寝不足だったため、オシフィエンチムへはあっという間に到着。バスの運ちゃんが「アウシュビッツだぞ~」と教えてくれ、バスを下車。アウシュビッツの受付へ。

窓口にエントリーの場所を聞くと、15時まではグループのみとのこと。入れないじゃん。

仕方ない。予定を変更し、第2アウシュビッツのビルケナウに先に行こう。

○クラクフからアウシュビッツ(オシフィエンチム)への行き方

クラクフ中央駅東側のバスターミナルからオシフィエンチム行きのバスが出ています。チケットはバス乗車時に購入可能。

クラクフからオシフィエンチムへのバス移動費用:10ズウォティ(1人)

●広大な殺人工場 ビルケナウの第2アウシュビッツ

死の鉄道終点。記念碑と平和のモニュメント、そして手向けられたお花

ビルケナウには、オシフィエンチムから無料のシャトルバスが出ている。

シャトルバスで5分くらいと比較的近くに第2殺人工場が存在している。ナチスの暴走は、第1だけでは足りず第2、第3と次々とアウシュビッツを建設していった。

到着したビルケナウの正門をくぐると、広大な敷地に囚人が住んでいたバラックが整然と並び、中央にはガス室へ続く鉄道の引き込み線が敷かれていた。張り巡らされた電流が流れる有刺鉄線からは「入ったら最後」の恐怖を痛いほど感じる。

まずはバラックを見学。薄暗いバラック内部には、3段ベッドがきつきつに並べられている。バラックの壁は薄く、床も土が見えていたりと厳しい冬の寒さに耐えられるつくりではないのが見て取れる。しかも、藁を敷いた狭いベッドの1段に、時には8人も詰め込まれていたそうだ。ナチスにとって囚人は人ではないのか。

ポツンとたたずむビルケナウの貨物車

続いて、鉄道の引き込み線をゆっくりと歩いてみる。途中、1台の貨物車がポツンと置いてあった。狭い車両に大勢の人が詰め込まれ、遠いところからだと7日以上かけ食料も無しで運ばれたらしい。もちろん、そんな状態では移動中にも死者は出たそうで、命からがらたどり着いたとしてもこの線路の先はガス室と非常に残酷。今は静かに佇んでいる車両を見ると、胸が苦しくなる。

線路を進み終点へ到着すると、左右の破壊されたガス室の中央に記念碑が置かれている。ここで犠牲になった人々の母国の言葉で書かれた石碑がいくつも置かれ、慰霊に来る人々が生けた花が犠牲者の心を少しでも癒しているようだった。

ガス室は破壊されてはいるものの、当時の状況をひしひしと感じることができる。「シャワーを浴びる」と言われ人々が入っていく入り口の階段。服を脱ぐ部屋、そして天井からチクロンBを投げ込まれる部屋と続いている。今は見ることはできないが、この部屋には天井や壁にガスに苦しむ人々が付けた爪の跡が残っていたらしい。「もっと効率的に殺せ」と作られたガス室の作りはまさに殺人工場。

ビルケナウの遺灰を捨てていた池と慰霊碑

さらに奥へ進む。ビルケナウの敷地はホントに広い。一番奥には遺体の焼却炉の跡や、野焼きを行った場所、そして灰を捨てていた池などがある。平和が訪れた今では、キツツキがくちばしで木を叩く音が響いていた。

広大なビルケナウの見学には4時間近くの時間を要し、シャトルバスでアウシュビッツへ戻る。

●悲惨な歴史を展示 オシフィエンチムのアウシュビッツ

アウシュビッツの点呼が行われていた広場と集団絞首台

15時を過ぎ、ようやくエントリーができた。入場ゲートを抜けるとアウシュビッツの入り口が。「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」という入り口のアーチはあまりにも有名。この”B”がさかさまのゲートを、囚人たちは過酷な労働に出かける度にくぐっていたのだろう。

中に展示してある絵にも、よくこの門は登場する。中でも印象的だったのは、労働から帰ってくる囚人をにやにやしながら看守が見ているという絵。

当時、与えられていた食事は1日にコーヒーと呼ばれた茶色い液体、ひとかけらのパン、腐った野菜のスープが1杯くらいで、囚人たちはみるみるとやせ細り、皆栄養失調に陥っていたそうだ。そんな中で、過酷な労働が続く。もちろん、耐えられず労働中に命を落とす人もいたようで、その絵には亡骸となった何人もの仲間を抱えアウシュビッツへ帰ってくる様子が描かれていたのだ。それを見る看守の光景が忘れられなかったのだろう。元囚人が描いたその絵からは憎しみと悲しみが溢れていた。

オシフィエンチムのアウシュビッツでは、テーマ別に写真や模型、遺品などが展示されていた。大量の衣服や靴、トランクなど、アウシュビッツ到着時に奪われた身の回りの品からは殺された人々の無念を感じる。

映像の展示もあり、当時のアウシュビッツの様子を動画で見ることもできた。あの鉄道で連れてこられた様子や労働風景、多くの人々がガス室で殺され灰になっていくところまで白黒のフィルムは悲惨な歴史を現代に伝えていた。

ナチスドイツの犯罪は、なぜユダヤ人を絶滅させるとまでエスカレートしたのだろう。実際に見てみると、殺人工場の規模はものすごいものだった。

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